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新・なまず日記


2010-09-10 [金]

_ [その他] 酒と薬物の夜



「アルコールによる睡眠は質が悪いですからね」
丸顔で眼鏡の精神科医が言う。つくづく、ガンジーに似てるよな、とオレは思う。

「お酒を飲むくらいなら、薬の方が、よほど質のよい睡眠が得られます。習慣性もありませんよ。じゃ、一月分くらい、出しときましょうか」

本物のガンジーは「無抵抗主義者」だったが、目の前の偽ガンジーは、徹底的な「対症療法主義者」だ。不眠の原因については、なにも聞かないし、興味もない。眠れないなら睡眠薬、不安なら抗不安剤、鬱なら抗うつ剤...

今回、オレは、「怒りで眠れない」と言った。すると、偽ガンジーは、抗癲癇薬を勧めた。オレはびっくりして、先生、あたしゃ、癲癇のケはありませんよ、と弁解した。しかし、癲癇発作防止の機序が、気持ちを落ち着けるんだそうだ。GABAという脳内物質の一つの出を良くして、「怒りがおさまる」んだと。

オレは抗癲癇薬を飲みながら、「感情」について考える。不安、気鬱、怒り...人間ならば誰もが持つ、高度な心のはたらき。
しかし、偽ガンジーによれば、「過剰」な感情は、「病的」ということになってしまう。
なるほど。ウオノメは皮膚の一部だが、歩行に困難をきたすようになれば、「病的」なものとして治療の対象となる。それはわかる。しかし、よく発達した足の小指を持つ女性が、無理にハイヒールを履くことで、小指にタコができて、それが痛む。それは、「過剰」で、「病的」なのだろうか?ハイヒールの方が「病的」な履物なんじゃないのか?
まして、感情のように、目で見えないものについて、「過剰」と「正常」の線引きなど、どこに存在する?オレの感情は、治療の対象となるほど、「病的」か?

「怒りで眠れない」と申告したのはオレだ。しかしオレは、自分の申告した自分の感情が「病的」と判断されて、とまどってしまう。「だって、眠れなくて困ってるんでしょう?」と偽ガンジーは言うだろう。だが、しかし。

やがてオレは、抗癲癇薬の「怒り止め」クスリを飲むことに「怒り」を覚えるようになった。「怒り」というよりは、「不条理」に近い感情だろうか。

「不条理」を感じて眠れないんですよ、と偽ガンジーに言ったら、「不条理止め」クスリが出てくるのかな?

オレはニヤリと笑った。笑いながら、「不条理止め」なら、昔っからコイツに決まってんだろ、と、一升瓶の栓を開ける。

純米吟醸のイイヤツで、偽ガンジーのくれた薬物を流し込む。抗癲癇薬だけは飲まないようにした。その代わりがアルコールなら、差し引きゼロだろう?と、酔った頭で、いい加減な算数をやる。

明かりを消した部屋で、おつまみの代わりの映画を見る。

でっかーどがれいちぇるにいった。せい、きすみー。

おやすみ...
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