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新・なまず日記


2005-11-30 [水]

_ [その他]なんだかヘンな社説

ついこの間、産経新聞が、合成写真を実写であるかのように報道し、捏造記事だと話題になりました。産経新聞は紙上で何回も特集を組んでお詫びと釈明に懸命でしたが、それはそうでしょう。朝日新聞が捏造記事を出したときにあんなに叩いたんですから。逆に言えば、朝日の捏造がなかったら、今回の合成写真も「大したことじゃない」で済んでいたんじゃないでしょうか。実際、産経新聞のケースに関しては、誰かの名誉が傷ついたわけでも、読者のミスリードを誘うものでもないので、合成写真くらい、大したことではないと、なまずは思うのですが。確かに、合成写真を実写であるかのように紙面に掲載するのは、読者に嘘をつくようなもので、ほめられることではないでしょう。しかし、合成写真とはいえ、なかなか美しい写真だったではないですか。

まあ、アイコラのようなものではないでしょうか。アイドルの首から上をヌード写真にすげ替えるという奴ですね。「え!?あややが脱いだ!?.....なんだアイコラか。ふざけんなよ」と腹を立てたが、たとえ事実ではないとわかっていても、あこがれのアイドルのあられもない格好に、おもわず腹の下の方も立ててしまう...例が下品ですみません。言いたかったことは、たとえ合成写真であったとしても、写真から受ける美的な感動というものはあるでしょ、全部が無価値と言うこともないんじゃないかな、ということです。

すでに古い話になってしまいましたが、朝日の捏造記事事件の方は、「大したことではない」では済まされない重大な問題だったと思います。してもいない取材の聞いてもいない発言を、事実として載せてしまったのですから。こちらの方は、アイコラと違って、事実でないのなら、何の価値も残りません。なんの価値もない情報を、事実だという嘘で売りつけたのですから、これは罪が重いです。言うなれば、 小麦粉をシャブだと言って売りつけたようなものです。いや、それよりもタチが悪い。だって、小麦粉だったら、パンをつくったり、おうどんをこねたり出来るじゃないですか。捏造記事なんて、本当になんの価値もないのですよ。

しかし、いまさら、なまずがここで問題点を指摘しても、遅きに失しており、詮無いことであります。そこで、今回は、捏造記事問題に対して、朝日新聞が出した社説について、書こうと思います。大昔の社説なので、今更感もひとしおですが、ネットを検索してみても、あまりこの社説を取り上げたサイトがないので、せっかくなので書いておこうと思います。

取り上げたい社説は、2005年9月2日の、 「記者と報道 事実の重みをかみしめて」です。すでにネットでは読める環境にないので、古新聞などをあたっていただきたいのですが、この社説は....

社説の概要を説明したいのですが、 これがなんともヘンなのです。いったい、この社説でなにが言いたいのか、なんとも形容できない、不思議な文章です。このヘンな感じが、今回なまずが説明したいところなのですが、うまく伝わるかどうか。もちろん、ナマズがヘンだと感じたと言うだけで、多くの皆さんにとっては、「別に?普通じゃん」ということになるかもしれません。そうだったら読み飛ばしていただきたい、そんな今回のなまず日記です。

さて、問題の社説ですが、まず、 捏造という不祥事が起きてしまった背景や原因を説明するものではありません。もちろん、今後二度と捏造を起こさないための対策を述べたものでもありません。具体的な事実は、対策委員会を作りましたということだけ。なにも言ってないも同然です。じゃあ、読者に対するお詫びなのかというと、広い意味ではそうなのでしょうが、直接的なお詫びではありません。「ただただおわびするしかない」とは書かれていますが、決して、「お詫びします」とか、「申し訳ありませんでした」とは、書いていません。「おわびするしかない」と本人が思っているということと、相手の方を向いて「おわびします」というのでは、ぜんぜん違うというのは言うまでもありませんよね。

それじゃ、いったい、なにが言いたいのか。いぶかしく思っていると、突然、一般的な、取材の苦労話が始まり、さらに、以下の文章へと続くのです。

他社や同僚との競争がある。
命じられた仕事をこなせないときの重圧感は並大抵ではない。
記者なら取材競争に疲れ果て、何もかも投げ出したくなることがある。
だれもが一度は、そんな袋小路に迷い込む。
それでも、気を取り直して取材現場に立ち戻る。
自分の仕事にそれなりのやりがいと責任があると思うからだろう。
(中略)
その出発点である取材がなければ、話にならない。
まして想像でデータをつくり上げたのでは読者への背信になる。

いい文章だとは思うんですよね。不祥事をしでかした当の会社の社説じゃなかったら。なんだか、読んでいるうちに、「あれ?捏造したのって、読売だったっけ?」と勘違いしてしまいそうな、素晴らしい文章です。

例えばですよ、浮気がバレちゃったダンナさんがいたとしてですね、そのダンナさんが、奥さんにこう言い訳するわけですよ。

男性には性欲がある。
満たされないときのチンポの重圧感は並大抵ではない。
男性なら結婚生活に疲れ果て、何もかも投げ出したくなることがある。
だれもが一度は、そんな袋小路に迷い込む。  
それでも、気を取り直して家庭に立ち戻る。
夫としての仕事にそれなりのやりがいと責任があると思うからだろう。
(中略)
その出発点で浮気をしてしまったら、話にならない。
ましてアリバイ工作をつくり上げたのでは妻への背信になる。

これを聞いた奥さんは、たいてい、 「なめてんのかボケ、クソジジイしばいたろか」と激怒することでしょう。謝罪にも釈明にもなってない上に、やたらと偉そうな態度。この社説のヘンテコぶり、理解していただけました?

そして、社説のラスト近くで、衝撃の一文が出てくるのです。

 社説を担当する私たちも、読者の不信を浴びて、いたたまれない思いだ。

ハァ?「社説を担当する私たち」って、誰それ?まるで、ディズニーランドでミッキーマウスと遊んでいたら、ミッキーがいきなり被り物を脱いで、「ミッキー担当の私としてはですね」と言い出したような気まずさ。いや、あたしはミッキーと遊びにきたんであって、ミッキーの中の人となんか話したくないんですよ。っていうか、おまえ誰なんだよ!

社説というのは、岩波国語辞典によると、「新聞・雑誌などで、その社の主張・意見としてのせる論説」ということで、あくまでも、社としての意見なわけですよね。社の中の一社員の意見とはぜんぜん違うというのは、言うまでもありませんよね。例えば、なにか不良品で迷惑をかけた会社の記者会見の席上で、広報担当が、「広報担当の私の意見としては、おわびするしかないと思います」といったら、新聞記者の皆さんはこういうでしょう?「おまえの意見なんか聞いてない、社としてどう考えるか聞いているんだ」と。「社説を担当する私たち」なんてのが出てくるのがいかにヘンな感じがするか、ご理解頂けましたでしょうか。

しかし、今回の社説ですが、朝日新聞社の意見としてではなく、社説担当の一社員の意見として見ると、いくつかのヘンな点も解消されます。例えば、決して「おわびします」と書かないのも、一社員ではお詫びする立場にないのだから、当然といえば当然です。また、妙に他人ごとで偉そうな「記者の心得」も、社説担当さんがしでかした不祥事ではないんだから、これも当然といえば当然です。なるほど、じゃあ、朝日の社説は、社説じゃなくて、社説担当のひとりごと、ということで、これにて一件落着。って、 落着できるわけねーだろ!純度100%のシャブ、じゃなかった社説だと思って読んでたら、小麦粉、じゃなかった一社員の意見が混ざってたという感じ。ああ、また、ダマされた。

新聞は、事実が書いてあると思うから金出して買うし、社説は社の意見だと思うから読むわけですよね。それがですよ、記事は捏造が含まれているし、社説は社としての意見じゃないし、これじゃあ、もう、タマンないっすよ。朝日新聞の記事は、大学入試試験に一番採用されているらしいですが、やっぱり、「この記事の中で、事実でないところはどこか」とか、「この社説は誰の立場で意見を述べているか」とか、そういう問題がでるのですかね。なまずは0点を取りそうです。

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_ Yulluywm (2010-02-26 [金] 06:18)

9IIkCl この間も俊太郎の詩をお http://www.stlouisbusinesslist.com/business/5021837.htm?info=viagra viagra, %-O,

_ viagra (2010-03-08 [月] 10:57)

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