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新・なまず日記


2005-04-20 [水]

_ [TV][音楽]布施明 - 少年よ

仮面ライダー響鬼テーマソング「少年よ」 [MAXI]
  1. 仮面ライダー響鬼テーマソング「少年よ」
  2. 仮面ライダー響鬼オープニング曲「輝(かがやき)」
  3. 仮面ライダー響鬼テーマソング「少年よ」インストゥルメンタル ※コーラス入り

少年よ 日曜の朝に放送している、仮面ライダー響鬼のエンディングテーマです。アニメと違い(たとえばHALCALIの「タンデム」や、サンボマスターの「青春狂想曲」もアニソンでしたよね)、ヒーロー物のテーマソングは、唄の内容が、放送の内容に沿っていなければならないという暗黙の制限があるみたいで、だから串田アキラがアバアバアバアバと絶叫したりしなければならず、到底大人の鑑賞に堪え得るものではありませんでした。

しかし、この「少年よ」は違います。そもそも「響鬼」は、その内容がヒーロー物としては極めて異色で、仮面ライダー(響鬼はバイクの運転ができないから"ライダー"じゃないけど...)の活躍よりも、ごく普通の少年の人格育成をドラマの主体としており、仮面ライダーはそれを暖かく見守る大人の役ということになっております。本エンディングテーマも完全にこのドラマの内容に沿うもので、第一歩を踏み出そうとする少年に対して、大人が呼びかけるものとなっております。 子供よりも、むしろ大人の鑑賞を対象とした曲と言えるでしょう。 なまずも、子供に見せているうちに、ハマってしまいました。

大人が対象だからオーケストラ、ということはないでしょうが、とにかくバカみたいに大げさなオーケストラがドカジャーンと鳴る中で、布施明の堂々たるボーカルは一歩も引かず、むしろオーケストラをねじ伏せるかのような素晴らしい歌唱力です。「しょぉねぇ〜ん〜よぉ〜」でサビに入っていく盛り上がりは実に 爽快にして高揚感にあふれる ものであり、大サビの「Hit The Beat, Keep Your Beat」で突如英語コーラスが入るのも、滑稽になるギリギリですが、むしろこの場合は大成功だと言えるのではないでしょうか。さらに、単にキレイに唄うだけではなく、「誰にもできないことみつけせ」のところでは、「だ」にシャウトをいれて気合と情熱を強調するなど、表現力、説得力に非常にあふれております。文句なしに名曲だと思います。こんな曲が子供向けヒーロー番組のテーマとして聴けるんだから、良い時代になったものだと感心します。

詩もまた素晴らしいものです。出だしはこんな感じ。

まるで 透明になったみたい
全部 自分を すり抜けていく
そんなふうに 感じてたのかい

ヴェルタース・オリジナルのCMにもあります通り、子供の頃は、自分が特別な存在だと思っているものです。しかし、大きくなるにつれ、自分が、10人並の、ごく平凡な、取替えのきく「その他大勢」に過ぎないことに気がつき、大きな喪失感を覚える。そんな経験、多くの方がされていると思います。この喪失感にどう折り合いをつけていくのか、ということが、「大人になる」ということの重要なテーマの一つとなるわけですが、そんな喪失感を、「透明になったみたい」という言葉は、なかなかうまく表現しているとは思いませんか皆さん。なまずは、この曲の「まるで〜」を聞くと、少年の頃に感じた、「自分はなにものでもない」というあの空っぽな感じが、わずかな痛みと甘酸っぱい懐かしさを伴って、胸に蘇るのです。

余談になりますが、神戸市須磨区の殺人事件を犯した少年は、自分が「透明な存在」であると、犯行声明文に書いたのでした。

ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、
今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、
せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。

この事件はあまりに特殊すぎるので、一般化して論じるのは危険に過ぎますが、「透明な存在」に耐えられず、「特別な存在」を渇望していたという部分については、自分の少年時代の、あの不安定だった心象を思い出し、神戸の少年に対して、多少の共感ができるのであります。もっとも、それが殺人に結びついてしまうのには、まったく理解ができないのですが。

この唄の2番の転調部分の詩は、以下のようになってます。

歩き疲れた 旅の途中で
思い出すもの
夢に見るもの

「歩き疲れた」のは、当然ながら、旅に出て、ここまで歩いてきた、 大人を指しているのでしょう。その大人が、ふと、「思い出す」のは、少年の頃の自分の気持ち...
つまり、この唄で、「少年よ」と呼びかけている「少年」とは、大人の人の、少年時代の自分であるとも、考えられるわけです。つまり、本放送も含めて、仮面ライダー響鬼は、子供よりもむしろ、子供と一緒にテレビを見ている、親の世代をターゲットとしていることは明白で、どうも、なまずも、その術中にはまってしまったようですね。

神戸区須磨区の「少年」も、すでに大人となり、社会人として働いていることでしょう。どこかでこの唄を聞いて、「透明な存在」だった頃の自分を、思い出したりするかも知れません。そのとき、彼は、なにを、「夢に見る」のでしょうか。

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